◎信心の力と徳のうけられる越山、通るところを通る頂くところを頂く
昭和五十三年三月三十日
X御理解第四十節「重い物を負うているか担いでいれば苦しいがそうでないから信心は楽じゃ、家業をつとめつとめするがよい」
%V 家業を勤め勤めするが良いと、何か家業の合間合間に信心はすると良いという風に聞こえますけれども。
家業の合間合間にどんしょったんでは、信心は大変むつかいものになるんです。それこそよこれもんのごとなるです。
信心しよるけん早起きせんならん、信心しよるからお金がいる、ねだからここには家業を勤め勤めするが良い、いうなら信心即家業となるまでが、私はやはり信心辛抱。
信心の中に家業が入あり、お参りももう家業の内なんだそうすればやはり、難しいことはない。家業の合間合間に信心することになる。
それは信心するだけ、それだけ特別に時間が掛かる様である。信心せにゃお初穂もいらねばお賽銭もいらん、時間もそれだけ早起
たり費やすことはいらん。
それでもやはり苦しい事があるから神頼みをする。そうなるから苦しい時の神頼みに又は苦しみ【】物の様になってくるので
%V だから信心もやはり、いうなら信心が血に肉になってしまう迄が信心辛抱でしょうし、そこに信心は切ろうにも切れない、止
めようにも止められない。
もう私と私一家ともう一体のものになってしまうところまでが、その辺のところがねやっぱり信心はむつかしい。どこも中途半端
になるとね、やっぱり信心が難しい。
伊万里の竹内のお婆ちゃんがおいでる時分に、或る知り合いの教会の先生にあんまり人が、なかなか良い場所ですけど人が助からん。
もう一向に何十年なるけど生き生きとした御比礼が立たない、息子さん達はなかなか頭の良いのが何人も居られるけど親の後は継がん金光様の先生にはならんといった様な風で言うなら後継ぎにも困っとられる、という教会。
と言うて、先生なかなか人物も良いし良い先生、それで信心仲間で知っておられるから、合楽のことを話されて一辺合楽にお参りしてごらんなさいませんか、というて奨められた。
竹内のお婆ちゃんとこへ先生が奨められたその返事を手紙がきておる、なかなか立派なお手紙でした。ええ綺麗な字です。ね、けれども関係が違う、手続きが違う、そういうとこにはやっぱり気兼ねもあろう、なかなかそこの踏ん切りもつかずにということをこういう歌に託して手紙を書いておられましたる
%T [飛びもえず 鳴きもえずして ほととぎす]
素晴らしい句ですよね。鳴きもせず飛びもえずしてほととぎす。折角お道の教師にお取り立て頂いて、おかげで、細やかながらも
教会も、持たせて頂いた。
何十年になるけれども、たいして人も助からん。まあ細々と生活だけは、出来てあるけれども、輝かしい御比礼にもならない。
というて、ここに踏ん切りをつけて、そういう御比礼の立つ教会にでも、御神縁頂いて、信心を稽古しょうという気にもなれない。
ほんとにご親切は有り難いけれども、というお手紙であった。
ね、だから信心もねそれこそ鳴きもえず飛びもえずしてと、いう程度の信心は脇から見ておっても、じゅつないし自分達もそれこそ有り難い勿体ないところまでの、心も湧こうはずもない、まあ
いうなら孫子の末まで金光様の先生にだんなされんというごたぁる親もそんな気持ちかも分からない
勿論子供達が後を継ごうともしない、ね信心が重荷になるから
金光様の先生じゃこげん苦労せんならんから子供たちがなろうとも言わない。ね、本当に信心がこんなにも尊いもの、こんなにも有り難いもの、ものいうなら子供の時から金光様の先生程有り難い、素晴らしいものはないと例えば子供達が分かるくらいな、しんじんを親自身が身に付けておらねばならないということなんです。
善導寺の渕上先生がもう何十年も前の話ですけれども、家の栄四郎のこと、小学校の先生ですからね、栄四郎君大きくなったら何になりますかというたら、僕は親先生になる。
あんたげん栄四郎は、もう偉いこといいなさるばのと、いいなさる。どげなこといいましたじゃろうかなのというたら、私は親先生になるちいゅうたち、とまで小学校の二年位の時じゃなかったでしょうか。
もう子供の時から親先生ちゃこげん素晴らしいものとわかっておるから、もう子供の時から親先生になることに決めとる。
これは教会とかお互いの信心過程においてもそうです。ほんにもう家のお母さんばかりは朝早うからお参りして、お金を使うてほんにご苦労なこっちゃあると思うようなことでは子供はついちゃきませんよ。
信心ちゃかくも有り難いものだ、かくもおかげを頂けるもんだ、いや信心とは当然生きとし生きる者すべての上に御恩恵を垂れたもの、天地の親神様のご恩に応え奉ることなのだから。
信心は当然幸せになる為には、信心を頂かなければならない。人間が本当の幸せを得ようと思えば、信心を本気でしなければならない。と言うことが言わず語らずの中にチャ-ンと子にも孫にも伝わって行くような信心をしておかねばならんと言うことなんです。
それには信心が重荷に見える様なことではおかげにならんちゅう事です。ほんにあげな重かもんば担いで行かにゃならんと。
%Vね「徳川家康じゃなかばってん、人生は重い荷物を担いで通る様なもんだ」ちいうてそれが素晴らしいもんのごと言うけど、そんなことじゃない金光様の御信心は。
こんな有り難うしてそれを嬉しう楽しう、しかも愉快に信心はできる、しかも徳も受けて行くことが自分も感られる。しかもこれがあの世にも持って行けれるんだ、この世にも残しておけれるんだというこてが分かれば分かる程、素晴らしい、輝かしいおかげにもなってくる。
ね、そうなって来る時にいうなら周囲から見てです、ああ信心ちゃとてもあげなことはでけんというて周囲のも者の方がきつがるようなかんじがする。
参りよる者もほんにこげなこのおかげばいっちょ頂くならば、スパッと参らんでん良かばってんと言う気持ちで参りよったっちゃいかんということです。
このおかげばいっちょ頂かんならんけんこうして参りよるというごたる信心じゃいかん。おかげは頂いてもそれでは信心はやはりどこまでも重荷である。
昨日は敬信会、それから終わってそのまま野口さんところの宅祭りでしたからもうそれこそ久しぶりでそこまででしたが、迎えに来て頂くことになっとったけど歩いて行きましたる
そこの安田様にも途中でお参りさせて貰うた。それでまあおかげを頂きましたが、あちらに着かせて頂いてすぐお茶が出た。お茶受けに柳川の越山餅がでた。
山を越すと書いてある、越す山と書いてある。大変有名なお菓子です。柳川の越山餅、昨夜御神前に出らせて頂いて一番に頂いたのがその『越山』と言うことであった。
%V山を越すという、まあ今日のご理解の言わば芯になる訳ですけれども、信心もやはり通るところを通り、越すところを越した信心にならんと中途半端で、中途半端では信心がきついもの重荷になるということを昨日のお祭りの後に聞いて頂いたんですけどね。
御神前に見事な『洋蘭の花を芯に、そして何十本かの沢山なピンクのバラが根元に入れてある。そして百合が三本大きく所謂形づくってあるのは大きな百合三本で形ができておる。その真ん中に沢山な蘭の花が活けてある、その根元に何十本かのバラの花が一杯入れてある。』
ね、何時もあそこはお花の中からご理解頂くんですけど、蘭の花は分からんということ。まあ、分からんの由来が皆さんも知っておられる方もあろうけれども、知らん人もあろうから申しますとね。 終戦直後に久留米の教会に原口久人さんの兄さんが、中々の有力者が何からか熱心に金光様の信心をなさるようになった。その時分に甘い物も辛い物も無い遅配欠配の時代でした。その原口さんが芯になって、 わからん会という会を作られた。
そりゃもう教師信者有名な先生方、大坪さんあんたもかたらんかとも言はれた。あそこには行くたんびにボタ餅がでるげなばいちねもうボタ餅食べげに行きよった先生達が、また帰りにはお酒が出る、そりゃあの時分の砂糖の入ったボタ餅なんかやっぱり貴重品でしたからね。ボタ餅食べにでん行きたいごとあるばってん、私は行きませんでした。
そりゃお家にはそりこそ教会のように見事な御神前が出来とったという話です。久留米には妙な事が有りましてね。
久留米の初代の時代になっちよらん会というのがあったです。そりゃもう久留米のそれこそ御本部参拝に二千名からあるという御比礼のたつ時代です。さあ御大祭と言うたら新券紺券の芸妓さんだんもう芸妓どん呼ぼうというたっちゃ一人もおらんごと、いうほどしに総出でお参りしたという位に御比礼のたった時代があったんです。
そのいうなら総代幹部の人達で久留米の有力なかた達で、なっちょらん会というのが出来た。勿論自分の信心がなっとらんとね、そういう謙虚な気持ちから、なっちょらん会というのが出来た。
久留米の矢次さん達がやっぱそのなっちょらん会の会員じやったです。本当になっちょらんになってしもうちからどこに居るやら居らんじゃらわからんごとなってしもうた。だから名前てん何でんあまり思い切った名前はいかんですね。
その点合楽は素晴らしいですね、松栄会とか菊栄会とか栄える会ばかり。(笑い)ね、だから私はね、そのわからん会というのが出来た時に、それは丁度なっちょらん会の二の舞の様な感じがしたんです。
若い蘭の会と優雅な会の名前です。そうですね、二三年ぐらい続いたでしょうか、その会が何時の間にかわからん様になってしもうた。以来ここで蘭の花のお知らせを頂くと、わからんという意味の御理解なんです。
そのわからんと言うのが芯に一杯入れてある、百合の花が三本、こんな事あなた方に言うたっちゃ分かるまいけれども、と言うて話した事ですけど。
霊神様にご挨拶さして貰う時に、三本の百合の花の影からと言う、まあこんな風に言わねば言葉がないですから言いますけどね、第一番に亡くなられた去年亡くなられた、お医者さんでした。
富永先生が百合の蔭から素晴らしい表情を見せなさった。もう一本の百合の花から、野口のお母さんが姿を見せた。もう一本の花から富永いわゆるお母さんね、富永のお婆さん。
私が関わり合う様になってから、亡くなられた三人の霊様。勿論野口さんところの宅祭と言うけれども、富永さんと野口さんとが合同で富永さんが何時も芯になって、お祭りをされるお祭りなんです。
毎年いうならば、その三人の霊様たちがです、ね、亡くなられた。取り分け富永先生なんかでもああいう大変なおかげを受けられてから、アッという間に亡くなられた。
お母さんなんかでもそれこそアッという間に亡くなられた。しかも交通事故であった。後に残ったこども達も熱心に信心しとりましたけれども、それからお参りして来んようになった。
野口さんの家はまあ日曜たびにすぐ傍ですから、日曜たびにお参りして見えて子供達はそして何かお祭りがあるというと、皆親戚が集まっているです。
やっぱり昨夜も皆集まってました。どげん考えても家のお母さんがあれだけ熱心に信心させて頂いてあったのに、どうしてああいう交通事故のようなことで亡くなっただろうかと、わからんのも無理はないと私は思うです。信心しよってどうしてこのようなことが起こって来るであろうかとわからんのも無理はない。
いうならばピンクの沢山のバラの花は白にも成り得ず、赤にも成り得ずと言うことなんです。いうなら赤というのはそれを境に打ち込んだ熱情的な信心にも成り得ず、というて信心も止めもきらず、 それこそ鳴きも得ず飛びも得ずして信心がその後続いてあるというだけのこと。だから、それを私は責めようとも思わず、そりゃわからんのが当たり前、けれどもこの神様は、そんな人間が浅はかにわかるような神様じゃない。
もう限りがない、その深さ広さと言うものは、そこでね私を見てください。大坪一家を思うてみてください。
私ども何十年の信心をさして頂いて取り分け引き上げて来てからこの方、とてもとても大坪さんのごたる信心の真似はでけん、しかも一家を挙げてであった。
とても大坪さんがおかげ頂きだんなさらんなら、頂く者はおらんと皆が言う位の信心させて頂いとったにも関わらず、次々と兄弟三人の葬式を半年の間にさして貰わんならん様なことが続いた。
しかもその上にかてて加えてこれが生活の元なるという。永年酒屋の配給をしておった酒の配給も取り上げられね様な結果になったもういうなら、泣き面に蜂であり、踏んだり蹴ったりの状態のなかにあってもです。もうその頃はもう愈何かしらんけどいまの合楽の言葉でいうならば神願有難うございますで進んだわけでしょう。
これはまだ信心が足らんのだと言う信心であった。いうならば、白でもなからなければ桃色でもない、いよいよ真っ赤なそれこそ
燃える様な信心がそのころからできた。いうならそこで峠を越えたその後になら、今日の合楽があり大坪一家が助かるだれではなく沢山の人がたすかるようになった。 日本中にこれがいうならば、夢の様なことですけれども、世界中に和賀心時代を世界に十三日をというような大きな願いをたてさせて頂ける程しの信心が生まれた 信心しょってどうして死になさった。そげなことは分からん。
分からんけれども深いご神慮を思うたら一生懸命にならにゃおられない、だから私の方ば見たら一番分かる。 だから越すところを越さなければ所詮越山餅である。ね、そこを越した向こうに御神意か深い御神意、御神慮があるのです。
私はあそこの娘達がもう本当に信心が好かんごとなったでもなからなければ親先生を好かんちゅう訳じゃなかろうかの。
あんたどんがあそこの娘達にいうのです。それでもなんとはなしにわからんジガジガしたもやもやしたバラのジカジカと同じこと。そしてなら一生懸命参ろういう意識もなければと、いうて止めはきらん。と、いうて日々にこういうお祭りがありゃ所詮一家拳族子供も連れてお参りしておる。丁度このバラの花の様なものだよ。そして中心の蘭の花じゃないけれども分からん本当にどげん考えてもお母さんが亡くなった兄だいの富永先生があんなに急にパタッと亡くなられた、あの若さで頼りにしておった皆が先生に。
それがもう本当にアッと言う間に亡くなられた、どうしたことだろうかと思うのも無理はないけれども信心はそれから先なんだ。
いうならば重荷にもならなければいうならばね、どうして信心せんならんだろうかといった様なものがスッキリと出るのはそれから先なんだ。いうなら通るところを通って初めて分からせて頂いて、信心は楽なものになるのであり、ね信心がいよいよ、楽しう有り難いものになって来るのだ。丁度、野口のお母さんが信心始めの頃、今いう一番始めに生まれたもう中学校の二年生、もう体も体格も良いがもうこの目の上に真っ赤な大きな何と言うですかね、赤アザがあったのです。それをおばあちゃんが一生懸命お願いしてもう毎日毎日も何回もお神酒さんをつけてキレイなおかげを頂いた。
とし子さんというねここでお名前も頂いた、もうそれが綺麗な嫁さんになっとる。
まだ富永先生が右の腕のここに大きなコブがあった。お医者さんですから白い着物を着てから手術をなさる時なんかこのコブが邪魔になってしょうがなかった。けどこのコブだけはどこのお医者さんでも手術をしてやろうとする人がなかった。人命にかかわるかもしれんからということでした。
毎日夫婦喧嘩というわけではないですけど、とにかく今日は物言うごとなか時でも手だけは先生がこうやって差し出して行かれよった。病院に行かれる迄に、それがある御本部参拝の時に久留米の駅頭まで送りに来てくださった、それでしっかりお願いして来ますからねというて別れて帰って来た時には富永先生夫婦がお礼に出て来られとった。もう不思議なことですよコブがなくなっとった。もうこれはもう本当に現代の医学ではどうにもこうにもできないああいうそれこそ耳鼻科では九州では権威と言われる先生でしたよね。
そういう例えば不思議な奇跡的なおかげと思はにゃおれない不思議なおかげは神様があるということを氏子に分からせなさらにゃ氏子が信心せん。ね、たから信心が分からにゃおかげをやらんじゃなくて、そういうおかげもスーッと頂き頂いてです、本当の信心へ本当の信心へと導いて下さる家業のいうならば家業しいしいということ家業の合間、合間に時々参って来りゃ良いではなくて、信心のなかに家業が入ってしまうぐらい信心を段々頂かして貰うて重荷にならないもう信心がいよいよ有り難いもの尊いもの。ね、例えばお道の教師をしとっても信心が重荷になる。
それじゃ子やら孫がついて行こうといわん、私は金光様の先生にならんというじゃろうけれども、そこわ乗り越えて有り難いという本当の信心が分かった時、ね、それこそ私方の子供が皆金光様の先生にならんというのは一人もなかった様に信心について来ない筈がない、とてもうちの親父のごとあげん毎朝早う起きて参らにゃならおんどんでけんち。息子どんがいうごたる信心じゃいけんち参らにゃおられん筈だと。ねそういう信心を私は皆お互い身につけていきたい。そりゃわからんこともある、ジカジカするようなこともあるけれどもそれを越山である、それを乗り越えてはじめて深い御神慮にふれることが出来る。それが自分の血になって行くことが出来るそういう信心をです目指していただくことが真の信心を目指すということじゃないだろうか。ね
昨日富永先生達が御信者と一緒にお礼に出てみえた、いつも敬親会の日がお礼参りの日、四日の日がお願い参りの日所謂神愛会ですから、熊本からそれこそああして熱心にお参りになる。
この頃からお願いしてあったお土地が契約が出来て契約金七百万円手付けを打つことができたというお礼参拝であった。
七、八年前のことを思うたら本当にまあようおかげを頂いたもんたと思う、三反ふたやしかも、もう日奈久の市内でしかもそう、大坪町ちゅうところ。もうこれだけでも神様のおかげちゅうことがわかる。とにかく四千万近くのまあようここまでおかげ頂かれたもんだと思う。
もうそれこそ十年前はほんの六畳一間のお広前がしかも家主から追い立てわ食うて、もうあと十四、五日出で正月だというのに行くところがない。初めて夫婦でそれこそ涙ながらに御神意を伺いに熊本から参って見えたのがはじめてであった六年間も今までかって家賃を不義理したこともないのにそんな人じゃないけれども大家が急にここを出て貰わんならんというてきたから、その大家の仕打ちに情けのうてたまらなかった。
そのことを神様にお届けいただいたら。あの『雪の顕微鏡で眺めた幾何学模様の様子を頂いた。』これは富永先生大家の冷たいごたぁる感じだけど、こりゃ冷たいとじゃないよこれはまた神様のもうそれこそ微妙な働きが起こっておるとですよ、大家が冷たいとじゃないこれはむしろお礼ば申し上げてここんところのいうなら、おかげをいただかにゃならんところですばい。大家どん恨んじゃならんですばいと、いうたことでした。ねそれこそ神様の手の込んだ雪のいうなら生態というですかね、雪の幾何学模様の雪の一片一片が、ああなっているんだそうですね、ですからもう天地の親神様の非常に微妙な手の込んだ働きを受けておるんだけれどもそれを大家が冷たい、雪は冷たいことは間違いないけれども、けれどもその冷たい仕打ちは神様が氏子可愛い、よい教師に取り立ててやろうよい教会にもしてやろうという切なる神の願いが冷とう当てられただけだからこれは、神愛として有り難く受けなければいけないよ。というて帰ってそんから数日目かに信者が参って来た。
それが今あそこの総代をしとる。
話を聞いてまあ同情したんですねそんなら私がい家を探しましょうというて現在のもう本当にそれこそあんあそこは温泉町ですから温泉の一番繁華街から少し入った本当に繁華街であって、閑静なしかも、もう教会のために造ったのじゃろうかというようなこじんまりとした家が見つかった。それがほんの年末の暮れの時分でした。 初めてお教会らしいお教会で元旦祭が迎えられという元旦祭のあとにお礼に出てみえられたことがありました。
実に感動的なお祭りでした。 それから毎日毎日求信者が五、六名づつあったというからね。毎日毎日求信者というのは、初めて参って来るという人達がいままでかつて無いことだったのです。
神様の思いが分かりそこにふれ、そしてそれを有り難く受けた時にです、そういう働きが起こってくるのです。
そしてまあだ七、八年ですよそれこそ熊本県内で一番生き生きとした御比礼が立っているという定評が生まれてくるようにおかげ頂いている。ね
もうそのかわり一切合切もう合楽流です。教会で十三日会があるのもあそこだけです。そしてなら今日です。まあ今の金額ですけど四千万もといえばいうなら大きな金額です。教会にとっては。
しかも一反余りだというたのが、向こうから押しつけられて三反何畝を買うて貰わにゃ売らんと、だからそりゃおかげばい買うときなさい。そしたらおかげで買うことが出来た。
てづけもおかげで七百万払うことができた。しかもなんとその町が大坪町、もういよいよ親先生のお取り次をいただいてこういうおかげになって来たという実感がねいっぱいで昨日はお礼参拝に見えたんです。ね、
通るところを通ってあとはもう有り難くて楽しいものになっとるでしょう。富永先生の場合はあれをそこんところを、グズグズして大家を恨んだようなことで出れというたっちゃ行くところがなかけんでそげん出られるかと言うたなら、対立した喧嘩どんが起こる様なことでは何時までたってもおかげはいただかれん。
頂くところを頂いてそれこそ合掌して受けてこういう冷たい仕打ちと思いよったけれど神様の冷たうしなければ氏子がわからん、そんわからんところがわかった時にいうならもうとにかく、二日余りの間に移転が出来て初めて教会らしい教会というがまだ布教所でした。ね、
そして瞬く間に教会に認可も受けられる様になって今は、日奈久教会があるそしてこんど三反からと言うからね、千何百坪からの広々としたところにまあどういう教会がたつか知れませんけれどもね、そのおかげが頂かれる道が開けてきよる。
しかも生き生きともう富永先生にとって信心とは重荷でもなからねばなんでもない、ただもう有難うして勿体のうしてこたえんのじゃないだろうか。これは教会信者と問わずだから、通るところを通り抜かせて頂く時が少し力が要るということです。
山を越さなければならないからそこの向こうにです。降りたら安心じゃと言う神様もここを通りぬけて辛抱したもうこの氏子は大丈夫と神様が安心したまう安心がこちらに帰って来る。もう信心は止めろというても止められるものではない。信心はいよいよ有り難いもの、勿体ないものそれこそ愉快に信心が出来るというようなおかげを頂かなければいけんのですから。
お互い信心させて頂きよってこれが山じゃろうかという時にグズグズせずに何かスキッとした有り難い心を頂く、いうならそれを一つの悟りというでしよう。グズグズしよっとでけんです。何かどっこいと言う度胸も出来るしねそして何かスッキリした今迄恨んでおったのが反対にお礼ば申し上げる様な心が生まれて来る手立てをどうかして頂かねばいけんですよね、どうぞ。